渡名喜島(となき)

2009年9月21日

今年からでしょうか?9月の連休をシルバーウィークと言うようになったのは?まぁ、休みが続くのは良いことです。丁度今日は休みの中日ですが、沖縄は良い天気が続いています。ということで連休の前半に、前から気になっていた渡名喜に行ってきました。渡名喜は沖縄本島から60km位。良く行く座間味からも良く見える島です。前々から座間味から見えるこの渡名喜と粟国には行ってみたいと思っていて、昨年は粟国には行ったのですが、渡名喜は今回が初めてです。渡名喜へは、空路はなく、久米島行きの船が寄港しています。泊港から約2時間です。

渡名喜島は人口450人くらい。世帯数は220世帯なので、この数から若い人が少なく、お年寄りが多いのが想像できます。高校から那覇に出て行った若者はそのまま帰ってこないという構図のようです。

ただ、この小さな島が沖縄でも有名なのは、NHKのちゅらさんで有名になった「小浜島」と並んで、沖縄の昔ながらの街並みが残っているところです。また沖縄の赤瓦の住宅が復元されて、1棟そのまま貸し別荘のような民宿になっています。

最初に渡名喜の自然を少し。渡名喜には標高170mくらいの山があります。そしてハブがかなり多くいるそうです。座間味にはヒメハブは少しいてもハブはいないので、草むらを気にしないで歩くことができるのですが、ここは用心が必要です。海から見ると、真ん中がへこんで左右に少し高い山がある、ゆるやかなMのかたちです。元々は二つの島で、真ん中に砂が堆積した地形だと島のガイドが言っていました。

20090921_Tonaki1

フェリーから見た渡名喜

渡名喜島の港の沖には入砂島があり、この島は米軍の射爆場になっています。私の滞在中もたびたび爆音が響いていました。米軍の射爆場で有名なのは、久米島の北に位置する鳥島ですが、米軍は鳥島と入砂島を使って、ヘリコプターや航空機の射撃演習を行っているとのことです。良く座間味上空を飛ぶ米軍機がこの島を目指しているのが初めて判りました。

つづく。

20090921_Tonaki2

入砂島

20090921_Tonaki3

林道から島の東側、リーフが発達しています。

海底貯蔵泡盛

2009年9月17日

少し前座間味で、水深20mの海底に1年間貯蔵した泡盛を飲ませてもらいました。泡盛は5年以上貯蔵した物を古酒(クース)と言い、基本的に長期間貯蔵した方が味がまろやかになり、美味しい酒とされます。これはウイスキー、ブランデー、ワインなど多くのお酒に共通するところ。1年間海底に貯蔵した泡盛も新酒と比べると、とげとげしさがなくなっていて、同じお酒を陸上と海底で比較貯蔵した物を飲み比べた訳ではないので、はっきりと評価できないのが難しいところです。

普通、古酒を作るには、甕(かめ)に入れて常温で保存し、蒸発した分を仕次ぎという、少し若い酒を減った分追加するという方法を使って保存する場合が多いのですが、瓶詰めした泡盛を常温で保存しても熟成は進むとも言われています。保存にはワインのように厳密な温度管理は不要なのですが、あまり温度変化が激しくない方が良いでしょう。海底貯蔵は、沖縄では大体20度から29度と比較的安定しており、絶えず小さな振動があることも熟成には良いのかもしれません。それより海底貯蔵という事自体に魅力を感じたりします。

ということで、来年飲めるようにと私も海底貯蔵をお願いしてきました。どこに沈められるかは知りません。1年後サバニレースの後に皆で飲みたいものです。

20090916_Awamori

1年の貯蔵で、瓶にサンゴ(海底生物?)などが付き出します。これも趣。

旧盆

2009年9月4日

今日(既に12時まわったから昨日?)は沖縄の旧盆(ウークイ)です。なんと小中学校は休み。バスなども休日ダイヤです。内地系の会社はさすがに休みませんが、一部の地場企業はお休みのところもあるようです。

会社でも、皆さん夕方はさっさと帰宅していきました。皆さん長男の家に集まって先祖供養と飲み会」とのこと。長男=仏壇のある家は大変だそうです。そうでなくても兄弟の多い沖縄で、孫やひ孫まで集まるので、考えるだけで大変そうです。

昔、丁度旧盆のときに座間味に行っていたことがあるのですが、夜、潮が引いているときに海辺の砂浜にお供えなどを持っていきます。そして潮が満ちて、次に引いていくときに全て海に引かれて行きます。人間が押し出すのではなく、自然の動きで、お盆に戻ってきた先祖の魂を戻すということだそうです。私は大阪生まれなのですが、小さい頃に祖母とお盆のお供えを淀川に流しに行ったことを覚えています。共通点を感じますね。

座間味の海亀

2009年8月30日

前回のブログで、沖縄の人たちはあまりインフルエンザを気にしていないようだと書きましたが、実は我が家もそのうちのひとつ?少し前ですが、22日-23日と東京から来た子供の友達家族と座間味に遊びに行ってきました。このM家ですが、我が家が沖縄に引っ越したその年にお母さんと上の子(うちの下の子と同級生)と下の子の3人が遊びに来てくれて、沖縄が気に入ってもらったのか昨年は一家5人で遊びに来てくれました。昨年は座間味に日帰りで海水浴に行ったのですが、今年は一泊しようということで1泊2日の座間味旅行になりました。

1日目の午前中はシーカヤック、夕方にはお決まりの夕陽ツアー。夜は阿真ビーチでのスターウォッチング、天の川が綺麗に見えて感激してもらえました。翌日無人島にシュノーケリングに行こうと船で阿真ビーチを出ようとすると、海亀が水深3メートルくらいの浅瀬を泳いでいます。皆でどぼんと飛び込んでシュノーケリングをしながら亀と遊びました。前の週の渡嘉敷島と言い、この座間味も亀は人慣れしています。逃げません。結局3匹の海亀を見ることができました。前々から「阿真ビーチには海亀が住み着いているよ」と聞いていたのですが、ゆっくりと海藻を食べているところを見ると、食事場なのでしょうか。座間味での新しい遊びでした。

20090830_Zamami-Moon

夕方見られた細い三日月

20090830_Zamami-Kame

インフルエンザ

2009年8月29日

新型インフルエンザの患者が沖縄で増加しています。それも統計上では、東京あたりの20倍というような驚異的な値を示しています。この定点観察という統計の取り方の細かなことはわからないのですが、この数字を見ると沖縄はパニック状態に見えるかもしれませんが、街を歩いている限りはマスク姿は増えたものの、皆が外出を控えるというような兆しは全く見えません。たしかに保育園、24日週から夏休みが明けた小学校などは閉鎖などが増えてきていますが、街は普通の生活です。致死率も季節性インフルエンザと左程変わらないということで、多くの人が安心しているのか、あるいは沖縄の人たちの特性なのかはわかりませんね。ビーチパーティー、宴会も普通にやっています。さすがに公のお祭りなどは一部中止になったりしていますが。。来週は沖縄の旧盆のウーケイ、ウークイです。親族が集まる機会の多いので、そこでさらに拡大しないか少し心配です。内地で大流行すると、もしかしてタミフルなども不足するかもしれないし、さっさと罹っておいた方が良いのではとも思ったりもしています。どうなのでしょうかね。

渡嘉敷島

2009年8月16日

初めての渡嘉敷島上陸です。座間味には通い出して21年になりますが同じ慶良間諸島の渡嘉敷島には一度も上陸したことがありませんでした。来週は知り合い家族が東京から遊びに来て一緒に座間味なので、さすがに2週間連続座間味というのもなんなので、ほんの少し趣向を変えてこの週末に家族で行ってきました。渡嘉敷までは高速船で35分と言っていましたが、満員で重いのかあるいは少し古くなってきてエンジン出力が上がらないのか40分かかりました。座間味に比べて15分ほど近く船賃も往復で1,000円程安いです。

渡嘉敷は阿波連(あはれん)ビーチが有名ですが、今回の宿泊はとなりの渡嘉志久(とかしく)ビーチの「とかしくマリンヴィレッジ」。目の前がビーチで、波も穏やかで流れもないので子供にシュノーケルさせるには安心です。ウミガメも住み付いていて子供たちは大喜びでした。夕方は宿のテラスから阿嘉島(あかしま)に沈む夕陽が入り江を染めて、まるで、穏やかな環礁の内海を見ているようです。

渡嘉敷島でびっくりしたのは、田んぼがあること。二期作なのでしょうか。丁度田植えが済んだ田んぼが広がっていました。ここだけ見ているとこれはどこかなと思ってしまいます。

20090816_Tokashiki1

渡嘉志久ビーチ

20090816_Tokashiki2

20090816_Tokashiki3

これ、沖縄の風景ではないですね。。

喜屋武岬

2009年8月12日

喜屋武、これなんと読むと思いますか?「きゃん」と読みます。沖縄はなかなか読むことが難しい地名が多いのですが、この喜屋武もそのひとつですね。南部には「東風平(こちんざ)」や「具志頭(ぐしちゃん)」などぜーたい読めない地名が沢山あります。

喜屋武岬は、南部の戦跡で有名なところ。南部と言えば、「摩文仁の丘」「ひめゆりの塔」が余りにも有名ですが、喜屋武岬でも民間人を含めた悲惨な玉砕があったと聞いています。

先日、初めて喜屋武岬に行ってきました。摩文仁の丘に通じる道路はきれいに舗装された立派な道ですが、こちらは、さとうきび畑を抜ける自動車がどうにか通れる砂利道。さとうきび畑を抜けるときれいな海が広がっていました。いつも思うのですが、64年前にはこんな穏やかなところで何百人の方々が亡くなったなんて思えない(信じたくない)風景です。20090811_Kyan

日食の話

2009年8月9日

もう随分と昔のことのように思えますが、少し日食の話を。先月22日の日食は、国内の皆既帯はどこも天気が悪く、トカラ列島、奄美大島は見ることができず、奄美の隣の喜界島では雲越に少しだけ皆既のコロナが見えたそうです。NHKが中継に入った硫黄島と船でその近くまで行った日食クルーズのみがコロナを見ることができたようです。単純に皆既をみるだけなら、「船で晴れ間のあるところに移動するのが一番良い」と思って沖縄発の日食クルーズがないかと探してはいましたがありませんでした。ほんと海上をとおる皆既ならきっと船が一番良いでしょう。

日食は数分の皆既時間帯に太陽が少しでも雲に覆われると見えなくなるので、「運」としか言いようのない旅行ですね。とは言いながら、次の機会をねらっています。日本では、2035.09.02に北関東を通る皆既日食があり、2012.05.21に南九州、四国、近畿中南部、関東というように、金環日食が日本を横断します。

いやー、今回は見たかったな、残念。

2010.07.11:タヒチからイースター島

2012.11.1:オーストラリアノケアンズ近郊

2016.03.09:インドネシアからミクロネシア

2017.08.21:アメリカを横断

20090809_Amami

部分食に入る前の空

皆既日食当日

2009年7月22日

本当に久しぶりに皆既中のコロナを期待していたのですが、結果は残念。。。部分日食は太陽光線の強さで雲を突き破って光りが見えていたのですが、さすが皆既中の淡い光は雲を通ることができませんでした。一瞬、磨き足りないダイヤモンドリングもどきが見えたかとおもったら完全に雲の中に。再び現れる時も少しダイヤモンドリングっぽく見えました。。。皆既中はあきらめたので約3分間は南の空を見ていました。北は厚い雲に覆われていたのですが、南の方が比較的明るかったので。夕焼けのように雲が染まっていました。細かなことはまた後日載せます。今日は朝3時に起きて、往復200KMを運転してきたので疲れました。。

200907220_Eclipse1

雲がなければ、この後すぐにダイヤモンドリング。。

200907220_Sora

皆既中の南空

皆既日食前々日

2009年7月20日

22日は皆既日食。今日から奄美大島に下の子を連れて来ています。上の子は残念ながらまだ夏休みに入ってなくお母さんと那覇に居残り。那覇から奄美大島は、RACは通常1日1往復飛んでいます。40人弱しか乗れないプロペラ機なので明日あたりからは臨時便が出るそうです。

お昼過ぎに奄美空港に着いてレンタカーを借りて、さらに北部にロケハン。最北部の笠利崎では3分55秒の皆既時間です。道路のあちらこちらには、皆既日食ののぼりが掲げられています。今回の皆既日食は奄美大島の北1/3しか皆既帯にはいらないので、当日は北に向う車の渋滞が考えられ駐車スペースも限られるのでおおよそ候補地を見つけて宿のある瀬戸内町に向いました。奄美大島は結構大きな島で、今回宿が取れた瀬戸内町から最北部までは90KM以上あります。丁度那覇から美ら海水族館のある本部あたりまでの距離です。皆既日食と部分日食では雲泥の差なので、折角来たのだから絶対皆既帯には入らなければ意味がなくなってしまいます。着いたとしても一番の心配は天気、天気予報では22日の奄美地方は曇り。これは運ですね。幸運を祈るしかないです。

20090720_Amami

笠利崎近くの海岸。皆既の3分間だけ太陽が出てくれたら良いのですが。

20090720_Amami2

テント村ができている「あやまる崎」には既にTV中継車が来ていました。