那覇マラソン

2009年12月6日

11月ころから沖縄ではあちらこちらで、「マラソン出るの?」ということを良く聞くようになります。そのなかでやはり一番参加人数の多いのは那覇マラソン。今年は今日12月6日でした。過去2年は中間地点近くまで自転車応援に行っていたのですが、今年はさぼってゴールの奥武山競技場に午後顔だけ出してきました。

今年は3万人が出走したそうです。沖縄県の人口が140万人弱なので、それから考えるとこの割合はすごいです。(県内と県外の割合はわかりません。) 6時間15分以内が完走ということで、完走者は2万人いたとのことです。2/3が完走したということはすごいですね。私が奥武山に行った14時過ぎくらいもぞくぞくと完走者がゴールインしていました。明日あたりは、会社でも足を引きずっている人が多く見かけるでしょうね。

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紅葉

2009年12月3日

先週後半、出張で東京に行っていました。もう寒いだろうなと覚悟して行ったら、なぜが16度くらいあり、助かりました。

丁度、芝公園あたりに用事でいくことがあったのですが、そろそろ都心も紅葉が始まっており、なんとなく懐かしい感じがしました。初冬の駒沢公園に暖かいコーヒーをもって自転車で行ったのが思い出されました。なぜか駒沢公園の風景には五輪真弓の「恋人よ」の歌詞だダブります。もう30年くらい前の曲ですよね。

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3連休

2009年11月23日

皆さん、勤労感謝の3連休はいかがお過ごしでしたか。沖縄は中日の22日以外は曇りや雨の生憎の天候でした。

私は21日に、初めての本島からのダイビングに行ってきました。会社仲間でもダイビングをしている者がいるので、その方々と初めての本島ダイビングと思いきや、です。なにも行き先を聞かないで、那覇新港からボートに乗ったら、ボートは慶良間を目指します。えーと思いながら、1時間半かけて慶良間の久場島到着。1本目は久場で2本目は下地島、3本目は奥武島。ゆっくり昼ご飯も食べられません。いつもは座間味泊で、朝は10時に出て、昼は島に戻りゆっくり昼食を食べて、午後2本目は14時で3本目は潜らないというダイビングを続けている私には、このダイビングパターンは慌ただし過ぎました。最近は3本潜るショップが多いようですが、3本潜るとどうも1本はいい加減なポイントにされているような気がするのは私だけでしょうか。本数は稼がなくて良いので、密度の濃いダイビングをしたいと思った1日でした。

ピグミーシーホース

ピグミーシーホース

手作りハンバーガー

2009年11月16日

最近あまりパンを焼いていないので、小麦粉もあまり気味。消費のためにも久しぶりにパンを焼きました。どんなパンを焼こうか考えていたのですが、折角だから日曜日の夕食にしちゃへということで、手作りハンバーガーを作ることになりました。

バンズとパテのどちらも手作りです。私はパンの係、奥さんと子供たちはパテの係です。バンズは、最強力粉のスーパーマナスル150,国産強力粉春よ恋350g,卵30g,砂糖40g,カルピスバター40g,無脂肪乳100g,水220g,サフのドライイースト10gの配合です。少し甘みをきかせたリッチなパンです。バンズはビーフのミンチを元に、タマネギなどをミックス。

焼き肉プレートを出して、バンズとパテを焼いて、レタス、タマネギ、トマト、チーズを挟んでできあがり。バンズには100gの生地を使ったので、マックのビックマックよりでかいハンバーガーとなり、これひとつで満腹でした。積み重ね方だけど、どんな順番が良いのだろうか?

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恩納村の海の見えるレストラン

2009年11月11日

先週の土日は、ツール・ド・沖縄の日、私は子供の運動会のために今回は出場しませんでしたが、今年会社をリタイアした方が神戸からわざわざやってきました。
これらの方のうち2名を那覇からスタート地点の名護までドライブがてら送ってきました。
天気があまりにも良いので、高速を屋嘉で降りて、恩納村の海沿いを北上。途中休憩にと、恩納村の「お菓子御殿」に立ち寄りました。「お菓子御殿」は有名なお菓子のポルシェが経営しているところで、お土産を買うところとしか認識していなかったのですが、2階にあるレストランからの思いのほか良い景色にびっくり。
真正面遠くには伊江島のタッチューが海からにょきっとたち上がっているし、その右手には本部半島から名護にかけての穏やかな名護湾が、まだまだ強い日差しを受けて輝いていました。
夏場のお昼頃は団体客などでごった返しているのでしょうが、丁度16時過ぎという中途半端な時間であったこともあろと思いますが、客は我々3人のみ。紅芋ケーキセット550円は納得でした。

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海中道路サイクリング

2009年10月31日
2週間ほど前ですが、会社の二人と沖縄本島東側の海中道路までサイクリングに行ってきました。朝8時過ぎに安謝に集合して西原町経由で、最近話題の「泡瀬干潟」の横を通って勝連から海中道路に向いました。「泡瀬干潟」近くの沖縄市の泡瀬漁港に、「パヤオ直売所」という有名な漁港食堂があることを、同行の一人が知っていたので、少し早い昼食をここで取りました。私は近海魚のバター焼き(1,500円)を注文。切り身ではなく、25cmくらいののこぎり鯛みたいな魚がまる1匹と刺身+あら汁。もう一人の伊勢エビ(半身)のウニソース焼きも1,500円。さらに3人目のあら汁の中には5cmくらいの大きな釣り針が出てくるおまけまでもがついてました。ここでは、魚の直売も行っており、氷の中には1mくらいのシイラやサメまでが売り物として入っていました。このあたりは泊漁港の直売所とは少し違いますね。

さて、久しぶりの海中道路は、天気も良く、気温26度と最高に気持ちの良いコンディションで、今夏最後?の沖縄の夏を満悦した1日でした。そろそろ秋も間近でしょう。

往復80km、日帰りサイクリングとしては丁度良い距離でした。これから涼しくなりし、天気がよければ自転車日よりですね。

サメとシイラ

サメとシイラ

海中道路からうるま方向を望む

海中道路からうるま方向を望む

大連その2(203高地)

2009年10月18日

203高地ってご存知でしょうか?日本の近代史には必ず登場する日露戦争の激戦です。中国でなんで日露戦争?というところにも清末期に欧米や日本にすき放題にされていた中国の近代史が垣間見られます。旅順港は天然の良港ということで、ロシアが軍港を置き、極東艦隊を配備して、その旅順港を攻略するために日本軍の乃木希典将軍配下の陸軍大きな損失を出して攻略した場所ということになっています。

旅順や203高地はいろんな小説や映画に登場するので、大連に来たらここは来て見ようと思っていました。大連から車で1時間半くらい。日本人向けのツアーもあるのですが、会社関係で日本語のわかる中国人の方にガイドをお願いしてタクシーをチャーターして仕事で来ている会社の同僚2人も一緒にやってきました。タクシーチャーターは3,000元(約4,000円)なので、中国の物価で考えると随分効果です。旅順自体は今も中国海軍の基地で、一部の地域以外は外国人には公開されていないようなので、道を間違えて変なところには行けません。

さて実際の203高地は今は緑生い茂る小高い山。戦争のときの岩だらけの山の写真が残っていますが、ここで戦いがあったのは1904年、今から105年前。さすがに100年の月日は戦争の後を全く消しています。頂からは旅順港が一望できます。旅順港は海側は300Mくらいしかない狭い水路なので、海からの攻撃は難しいということなのでしょうが、ここからは全てが丸見え。攻防戦の要所であったことが窺えました。だけどここだけで、日露の兵士が2万人近く死んでいるのですよね。平和が良いです。本当に。

203高地から旅順港を見る

203高地から旅順港を見る

旅順港の出口(白玉山塔から)

旅順港の出口(白玉山塔から)

大連

2009年10月10日

今日から中国の大連に来ています。出張ではないのですが、会社の者が仕事で出張しているし、最近大連と仕事をすることも多いので、どんなところか見てみようと思い、マイレージの無料航空券を取りやってきました。普通沖縄発の海外へのツアーは、割り増し料金がかかるのですが、マイレージの場合では沖縄発でも内地発でも同じマイル数。おまけに乗り継ぎで1泊必要な場合には前日沖縄を発っても良いことになっているようで、今回は昨日沖縄を出て、大阪の実家で1泊してから本日の関西空港発のJALで大連に来ました。大阪へのちょっとした帰省も兼ねての旅行なので随分特した気分です。

大連では、シャングリ・ラに宿を取りました。法人割引で500元くらいなので、1元14円とすると7,000円くらい。東京駅近くのシャングリラなら40,000円はしそうなので、ここでも物価の違いを感じます。ちなみに空港から、ホテルまでは約10KMで30元でした。沖縄のタクシーの1メーターより安いです。

ということで、大連初日が始まります。

ホテルノ部屋からの大連ダウンタウン

ホテルの部屋からの大連ダウンタウン

中山広場(中山とは孫文のこと)

中山広場(中山とは孫文のこと)

座喜味城跡

2009年10月4日

中城(なかぐすく)、勝連(かつれん)、今帰仁(なきじん)と座喜味が沖縄本島の有名な城(ぐすく)跡、座喜味だけ行ったことがなかったので、先日に行ってきました。座喜味は西海岸にあります。一番のリゾートエリアは恩納村ですが、その手前の読谷村、残波岬の近くです。大体このあたりからリゾートホテルが目に付いてくるところです。

座喜味城跡も綺麗に整備され、崩れていたに違いない城壁跡も修復されています。城壁の一部は登ることができ、サトウキビ畑に続いて読谷や残波岬の海が見えます。遠くには慶良間の島影も見ろことができ、昔は海上の往来もここから見ていたのでしょう。

沖縄の城を跡をみていつも思い出すのが、なぜか昔に行ったことがあるスペインのアルハンブラ、規模はアルハンブラが比べものにならないくらい巨大なのですが、晴れた日の沖縄の日差しがスペインに似たところがあるのかもしれません。(アンダルシアはヨーロッパのフライパンと呼ばれると聞いたような覚えがあります) 好きな本を一杯持って行って、アルハンブラ宮殿の日陰1日中読書するというのが老後の楽しみにと考えていることつです。。

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渡名喜 その2

2009年9月23日

渡名喜の陸上の話を少し。

渡名喜は古民家が再生されて、民宿に使われているという話を前回書きました。そんなお金がどこから出るのかと思っていましたら、やはり米軍関連の補助が大きいようです。入砂島が米軍の射爆場になってるので、随分と補助が入り、その補助金をベースに古民家再生と村おこしを事業化?したとのこと。水道も海水の淡水化施設を島自前ということで離島のなかでは余裕があるように思えました。ただし、島の方々は朝の家の前の掃除を日課にしたり、ごみの分別などをしっかりする点などは那覇などとは大違いですね。米軍関連予算は、沖縄では切り離せない事ですが、もしこの予算がなくなったらここの生活はどうなるのかを考えてしまいますね。

さて、古民家ですが、台風の強風避けのために、通りより一段と低いところに家を建て、その周りをフクギの木が覆っているところは、沖縄らしさを感じます。夜は港からあがり浜に抜けるメインの通り(村道1号線)が低位置の街灯(50cmくらいの高さ)で照らされ、掃除の行き届いた砂道を歩くのは大変気持ちの良い夜の散歩でした。低い照明なので、夜空を見上げると思いのほか多くの星を見ることができます。

宿泊した赤瓦の再生古民家は、台所と主な部屋として6畳間が2つ、それに天井の低い納戸のような部屋が3つ。無理したら7,8人くらいまでは入りそうです。ただ風呂場とトイレは外の別の建物。これも昔のままということ。その奥には昔の豚小屋の基礎部が残されています。昔の日本の農村の家もこんなんだったのでしょう。今回のように天気の良い日は良いのですが、雨の日はちょっと面倒ですが、これも昔の生活ということで。

ということで、宿と町並みは満足ですが、なんもすることがない。海でのんびりするしかないですね。ダイビングサービスもないので。釣りでもするか、ひたすらのんびりするしかない島です。静かな沖縄の離島に行きたい方には、本島から2時間でかつ安く(往復のフェリー代は4,520円)行くことができる離島ということで良いかもしれません。

*宿ではガイドも行っています。HPでは一人1,000円となっていますが、島の外周と村落内が別コースでそれぞれが1,000円づつ。HPだけ見ていた私は請求の時に2,000円請求されて「おやっと」思いました。観光業なら事前の説明をきちんとすべきでしょうし、ガイドも人によるのでしょうが、まだまだお客さんを楽しませようという気持ちが余りない。素朴といえばそれまでですが、このあたりもまだまだこれからという気がしました。

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ふく木並木

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夜の村道1号線

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宿泊した古民家

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古民家内部、仏壇もそのままです。