サバニレース準備

2010年6月6日

1週間前になりますが、レースの準備&ダイビングで座間味に行ってきました。どうにか貸してくれるサバニも見つかり、伴走艇の手配もつきそうです。この週末は、来週の座間味でのサバニ整備と練習のために、サバニのいろいろな備品を買いにメイクマン(沖縄のDIY店)まわりをしていました。アウトリガーやマストを取り付けるロープから、腰掛けに張るクッションなどなど先週にリストしてきた備品の買い出しです。メンバーの方は、、結局14名の方が集り、思いの他大人数のチームになってきました。チーム名は週明け早々にきまりそうです。

先週の座間味の海ですが、今年は雨も多いせいか、水温がまだ低めです。しかし海の中は産卵シーズン。この季節の大潮の夜にはサンゴの産卵も有名ですが、魚の方の産卵も多いようです。デバススメが数百匹あつまり群れになり地面に一斉にぶつかるように産卵している現場も見ることができました。その後、ゴマモンガラをはじめ大きな魚が産卵直後の卵を奪うように食べています。孵化前から生存競争が始まっているのですね。水温は25度、7月上旬には27,8度まで上昇するのでしょう。

デバスズメの産卵

全長2M、太さは大人の太ももくらいある「どくうつぼ」

梅雨

2010年5月24日

ひさしぶりの更新です。

GW終るやいなや梅雨入りが発表されました。今年の梅雨の始めは豪雨でした。高速は50KM規制されるわ、警報がでるわです。お陰様?でダムは満杯のようです。座間味のダムも何年ぶりかに満杯になったようです。その後一時晴れ間も広がり、梅雨の中休みのような感じでしたが、また週末から良く雨が続きました。今朝も朝から少しひんやりとした雨、やっと夕方から晴れ間が広がってきました。ちぎれ雲が流れていました。

土日はなんとなく、家でゆっくりとしています。そろそろサバニレース(座間味to本島)の準備です。今年は会社仲間で一艘出そうと言う話がもりあがり、木造サバニ船や伴走艇を貸してくれる人を探したりしています。来週末はその打ち合わせを兼ねて座間味に行ってきます。さて、出場できるでしょうか?

夕方の雲、半月が雲の隙間から出てきています。見えるかな?

GW前半

2010年5月5日

今年のGW前半の沖縄は良い天気が続きました。私は特別の予定もなく子供の少年野球を応援に行ったりとぶらぶらしています。安謝の那覇新港では、那覇ハーリーが3日から始まっています。夜にはいつものように花火が上がってますね。今年も5日は職域対抗で私も出場予定。

天気が良いのでベランダで本でも読もうかと思ったのですが、風が強い。南からの心地ちよい風というよりは、東よりの強い風で、気温は25度くらいあるのですが、半袖で外に出ると肌寒さを感じます。天気図を見ると、前線もしっかりできてもう梅雨がそこまで来ているようです。

連休前、泊港で見られるハーリーの練習風景です

今年最初の座間味

2010年4月29日

沖縄に来てからは、毎年3月か4月上旬には一度座間味に行っていたのですが、今年は出張とかがあったので、先日やっと座間味に行ってきました。沖縄も4月にしては低い気温が続いているのですが、海水温もいつもより低めで、まだ23度しかありません。沖縄本島の海開きはだいたい4月中旬までに行われるのですが、この水温を考えるとまだ日本人には海水浴には冷た過ぎますね。旧暦ではまだ3月ですものね。ただ、これからは一月あたり2度のペースで水温も上がって行き、7月上旬には28度くらいまで上がります。25度を超えると、潜っていても随分暖かく感じられます。

阿真ビーチの先からのイジャカジャ島とヤカビ島

昔映画になった「マリリンに会いたい」のマリリンの像

実はこのサンゴは毒サンゴです。さわると熱い物をさわったような痛みがあります。

大阪から沖縄

2010年4月26日

大阪からの帰りは久しぶりに天気が良く、窓側の席だったので、ぱちりぱちりと写真を撮っていました。晴れた日の国内線は、今どこの上を飛んでいるのか良くわかり、地図を眺めるのが好きな私は、ついついかぶりつきで窓の外を見てしまいます。

関空と飛び立ったら大阪湾を西に。神戸空港に降りる飛行機が下に見えたりします。

明石大橋と淡路島

瀬戸内海を右手に見ながら、四国を横断します。福岡行きなら瀬戸内海あたりをそのまま飛ぶことが多いですね。佐多岬の先は関さば、関アジで有名な豊後水道。

高知県上空から宇和海と佐多岬半島(左手奥にうっすら)

 宮崎の日向灘を右手に見ながら南下すると、都井岬が見えてきました。都井岬は私の好きな岬のひとつです。(実は学生の頃から、なんか岬があれば先まで行ってみたくて随分といろいろな岬に行きました)

都井岬、左手は志布志湾。

ここから、飛行機は太平洋上に、鹿児島県の大隅半島の向こうに、開聞岳が見えました。

大隅半島と奥にうっすらと開聞岳。

種子島上空を通過して、右手にはトカラの島々。

左の噴煙をあげているのは諏訪瀬島の御岳。

ここから残念ながら曇ってしまいました。

次に下が見えて来たのは沖縄本島が見えてきてから。

海中道路

天満ぶらぶら

2010年4月19日

桜の通り抜け後、天神さんに行って見ようとぶらぶらと歩きました。母はもう70半ばなのですが、足腰はまだまだ丈夫です。沖縄の若者なら、「タクシー!」と叫ぶ距離もなんなく歩こうと言います。

大阪の天神さん(大阪天満宮)は夏の天神祭で有名です。私も天満宮に来た覚えは内のですが、天神祭の花火はなんとなく記憶にあります。小さなころは花火がわくわくする夏の思い出でした。この天神祭は1,2回しか記憶にないのですが、小さなころ住んでいた守口近くの淀川河川敷でも見ることができた「水都祭」の花火が、夏休みのわくわくする行事でした。そうそそう、大阪は水の都なのですね。

大阪天満宮

水都らしい風景です。

造幣局の桜の通り抜け

2010年4月18日

出張帰りに久しぶりに大阪の実家に戻ってきました。大阪には70半ばの母を一人残しているのでたまには顔見せに戻っています。丁度天満にある造幣局の桜の通り抜けが始まったとTVで聞いたので、何年ぶりかに母と一緒に出かけてきました。多分一度だけ私が小学生の低学年の頃に、家族で行った記憶あるので、もう40年くらい前になるのですね。。。

京阪電車の天満橋下車で、大川(そう東京では隅田川を大川と呼びますが、大阪では旧淀川を大川と呼んでいました。)を渡る橋あたりから大勢の人。

大川の天満橋

造幣局に向う道筋には、お祭りのように的屋が出ています。なんかこの賑やかさは久しぶりです。さすがに造幣局の敷地内は屋台が禁じられているようで、門を入った桜並木には的屋はいません。

桜の通り抜けですが、netで調べると、1883年から解放されているそうで、現在560mの通路に約350本の八重桜を中心とした桜が植えられているそうです。八重桜なので、普通の染井吉野より半月ほど遅れて満開を迎えるようです。本当にいろいろな色の桜があります。ひとつひとつの花が大きく重たそうです。通り抜けというとおりあまり立ち止まらないで、歩きながらの花見はせっかちな大阪人に向けの花見の仕方かもしれませんね。

寒い東京

2010年4月16日

12日から東京出張に来ていました。

12日の沖縄は気温27度、今年初めてかりゆしウェアで出社して、一度自宅にもどり冬用のスーツに着替えて飛行機に乗ったものの、東京についたら「おお寒い」気温は10度以下です。道行く人もコート着ています。そろそろ4月の中旬ですよ。これはないです。

その後休暇をとって、実家の大阪に帰省していますが、今日の大阪も寒い雨です。この気候はどうなっているのでしょう。昨晩見ていたTVでは、野菜の高騰がニュースになっていました。沖縄では20度で寒い寒いと言っていたけど、内地の方々申し訳ありません!

ただし、この寒さで桜の花が少し残っていました。。

タヒチの友人

2010年4月16日

私は沖縄の島も好きだけど、タヒチも大好き。最近はなかなか行けなくなりましたが、以前はリピータ?していました。タヒチの離島に最初に行ったのは1993年、そのとき偶然日本人を見かけました。そのときはなにもお話ししなかったのですが、その後数年を経てもう一度出かけるときにネットで情報を調べていると、偶然そのときのご夫婦のHPを見つけ、なんか懐かしくメールを出させていただき、現地でお世話になってから、メールや私たち家族がその島に旅行したときにお会いしています。

今回は、初めてそのご夫婦の奥様がお父様と沖縄旅行に来られました。旦那さんは犬の世話を兼ねてタヒチに居残りとのことです。日曜半日だけお会いできたので、南部をご案内。知念岬、斎場御嶽から摩文仁、糸満と駆け足4時間で回ってきました。斎場御嶽はしばらく(多分2年以上)行っていなかったのですが、知らぬ間に有料になっていましたね。知念岬も久しぶり。「リーフの感じがタヒチ本島に似てるね。」というご感想。たしかに沖縄本島のこのあたりは良くリーフが張り出してますよね。夜は、沖縄料理&泡盛で昔話。うちの息子達はもの心ついた時にはどちらの祖父もいなかったので、「娘とお父さん」の旅行が珍しかったようです。なんかわかりませんが、「こういうのも良いな。」と言っていた見たいです。沖縄好きになって、是非また遊びにお越し下さい。座間味も良いですよ。

黄砂は終わったけど。。

2010年3月28日

今回の黄砂はなかなかひどかったです。3連休の中日21日くらいが一番ひどかったでしょうか。まるで霧のように視界が500mくらいまで落ちていました。夕方も晴れているはずだけど、太陽はぼんやりとみえるだけ。

少し窓を開けると家の中もざらざらです。家ではNational(まだパナソニックになる前の)空気洗浄機を3つ使っているのですが、フィルターが黄砂で黄色くなっていました。これが部屋を漂っていたと考えると気持ち悪いです。砂だけでなく、中国の公害物質が飛んできているのではないかと考えてしまいます。私の小さいころ(1960年台後半)の大阪も工場からの煤煙や排水の公害の最悪の時期でした。今中国はそのときの大阪、いや日本と同じように急速に産業・工業が発展しているようですし、規模はそのころの日本と比べものにならないくらいでしょう。コスト競争力のための中国進出や、新しい市場としての中国は必要なのでしょうが、歪みもそれ以上に大きいと考えてしまいます。