引越し

2007年3月25日

今日3月25日は、東京のマンションの荷物の梱包日だ。会社指定の引越し屋さんは、何社かから選択できるのだが、今回は「アート引越しセンター」にした。また個人負担になるのだが、「おまかせパック」で、梱包と荷解きをおまかせすることにした。

今日は、朝8時から6人の作業者が狭いマンションにやってきて、てきぱきと作業をしてくれるが、あまりの荷物の多さに時間がかかり、途中から3人が応援にきていただき総勢9名での梱包作業で、やっと18時半くらいに、今日の作業は終了。今は部屋中ダンボールだらけになっている。

最近の引越し業界の人たちについてだが。もう20年くらい前、福岡から東京に引越ししてきたときは、いかにも運送屋という年配のおじさんで、それから目黒区、世田谷区、また今の目黒区碑文谷に引越した12年前も運送屋さんという感じであったが、今回のアートの「おまかせパック」でやってきたアートの人たちは、おじさん2名(うち1名はこの業界のベテランだぞという人)、リーダー格の女性、若い女の子5人、茶髪イヤリングのフリーターの男の子1名という構成だった。へー、女の子のバイトに引越し屋さんもあるのだな。と思いました。この業界も女性の進出が多いのですね。

ということで、「アート引越しセンター」のムービング・スタッフのみなさんご苦労様でした。明日もお願いします。ちなみに今回の「おまかせパック」の梱包+荷解きの自己負担額は20うん万円でした。高い?だけど楽ですよ。

那覇での賃貸マンション探し(その3)

2007年3月25日

小禄(おろく)も比較的最近に都市開発されたところらしい。公園の多い綺麗な町並みが続いている。都市モノレールの小禄駅には大きなジャスコが直結しているし、小禄駅を降りると、思わず「ここで住んでも良いかな。」と思ってしまう街だ。

img_2648.JPG小禄の町並み

こわーい運転で、物件のコピーを見ながら58号線を南下して小禄方面に向かう。物件探し前にCHINTAI Netなどを見ていたのだが、那覇全体でもそんなに物件が多くない。特に家族向けで少し広い目の3LDKや4LDKの賃貸マンションは少ないみたいだ。3LDK 60M2台というのが結構多い。

小禄で案内された物件は2つ、どちらもモノレール小禄駅から徒歩15分。1つは、陸上自衛隊の敷地の近くの7階建ての7階のロフト付きの4LDK。3方をルーフバルコニーに囲まれたすごく見晴らしの良い部屋。空港から近く、発着する飛行機が眺められ、その向うには慶良間諸島の前島が眺められる。「あー沖縄!」という感じで、取り合えずキープ。問題は築10年のわりには痛みがひどいこと、リフォームしないで渡されたたちょっとなー。というところでしょうか。それと、見晴らしが良いということは、「台風のときは大変だろうな」ということですね。

これで、この不動産屋さんの持ち駒は尽きました。明日は、那覇の知り合いに紹介してもらった別の不動産屋さんに期待。

那覇での賃貸マンション探し(その2)

2007年3月23日

さて、住むとこ探しだが、那覇市内2箇所に絞った。沖縄というと、赤瓦を白い漆喰で固定し、玄関にシーサーのある、平屋建て家屋にあこがれるが、生活、子供の学校、通勤を考えると、那覇市内で、ある程度都会的な生活ができるところに住むのがストレスがないと思った。面白くないというと面白くないが、まぁ最初はそのあたり位のほうが良いかなという考えだ。

2箇所は、1つは今那覇で一番の都会「新都心」、もうひとつは、「沖縄スタイル」という沖縄生活マガジンでは、うちなんちゅーで一番人気があるという「小禄(おろく)」。

例の不動産屋のおやじさんに案内され、先ずは新都心。「3月完成予定の新築物件に行きましょうね。」と行ってみるが、、、未だ工事の真っ最中。どうみても後1ヶ月やそこらで完成しようにない。おじさん、慌てて工事中の看板に載っていた取り扱い業者に電話すると、「完成は4月中旬になります。」とのこと。「おーい、ちゃんと調べてから客を案内せー!」ですよね。

だけど、新都心は大きなショッピングセンターもあって、生活に必要なものがまとまっているので、日常生活を考えると、東京で住んでいる東横線の学芸大学より便利かもしれない。

ということで、次の候補地「小禄」に移動。(つづく)

img_2571.JPG新都心の沖縄モノレール「おもろまち駅」前

那覇での賃貸マンション探し(その1)

2007年3月22日

転勤が決まってから、2月末から3月にかけて住むところ探しをした。沖縄には何回も旅行で行っているのだが、いつも本島は素通りして離島に渡ることが多く、本島はそんなに知っている訳ではない。先ずは会社に紹介してもらった久茂地の不動産屋さんにお願いした。不動産屋さんんのおばさんは、やけに元気よく、てきぱきと仕事をこなしているが、横に座っている社長と呼ばれている60歳位のおじさんは、「はぁーなに言っているんだろう?」というように話が通じない。「このおじさんには案内してもらいたくないなぁー」と思い、おばさんに話をなるべく振っていたのだけど、「さぁー、物件見に行きましょうね。私、車を車庫から出しましょうね。」というようにおじさんにあたってしまった。

これからが大変。「おい、子供も乗せているのに、右折するときに対向車線の真ん中で止まるな!」という具合に加え、

「うちは最新のデータを入手するので、これから事務所に電話しましょうね。」 

「別に1時間やそこらで状況変わらんやろ。出かける前に、事務所で資料持ってきてよ。」というような具合で、那覇での初めての住むとこ探しが始まったのでした。

つづく。

沖縄転勤決まる!

2007年3月10日

昨年2006年末に、「沖縄での仕事があるよ。」と当時の上司から話があった。毎年毎年、もう8年くらいになるだろうか、ずーと東京から沖縄への転勤希望を出していて初めて聞いた話だった。その後、転勤の話はとんとん拍子に進み、2007年2月には正式に「沖縄転勤」が決まった。

今は、残すところ1週間の東京&千葉生活をしている。関東は2月は暖かかったが、3月になって寒い日が続いている。この寒さももう1週間の我慢。

img_2369.jpg那覇空港を、北に向かって離陸したら見える島(慶伊瀬島)