‘本土’ カテゴリーのアーカイブ

吉野 その2 柿の葉寿司

2007年7月16日 月曜日

少し前に書いた吉野の続き。

柿の葉寿司を食べたことはありますか?最近は京都や大阪の駅弁、特に近鉄が停まる駅の多くで色々製造元の柿の葉寿司が買えます。最近は大きさも普通の握りずしくらいの大きさで、鯖とかサーモンを酢飯の上に載せて、柿の若葉で包んだのが商品になっています。

私が小さな頃、もう30年くらい前ですね。(30年と書くと本人もびっくり、年取ったもんだ。)お袋の田舎の親戚がもって来てくれた、柿の葉寿司は、今の3倍くらい大きく、匂いも独特の物でした。もともと柿の葉寿司は保存食で、奈良の真ん中にある吉野は海からも遠く、たまに手に入る魚は貴重品。魚は、紀伊半島の南の先、熊野から街道を延々と運ばれてくる塩漬けの魚であったそうです。お袋の小さな頃(戦前)では、そのような魚の行商人が時々村に来ていたということです。その塩漬けの鯖を使用して、殺菌効果のある柿の葉に包んで何重にも積み重ね、重しをして、少し発酵した「なれ寿司」にしたのが、もともとの柿の葉寿司です。

私が子供の頃、この大きな柿の葉寿司を、お袋の親戚は吉野杉で作った箱の両端を紐で縛って重し代わりにできる、柿の葉寿司専用の箱に入れて届けてくれたのが思い出されます。最初は独特の匂いでなかなか食べれなかったのですが、慣れれば柿の葉と、杉の香りが染込んだ、大きな寿司が大好物になりました。柿の葉寿司を作るのが一番上手だったのは、お袋のお姉さん。毎年初夏に届くのを私もお袋も、親父も楽しみにしていました。

お袋のお姉さんは、昨年他界、この柿の葉寿司をほお張って酒を飲んでいた私の親父も随分前に他界。柿の葉寿司は私にとっては思い出の食べ物です。

もう一度食べたいな。でかい柿の葉寿司。

0716_aiioe.jpg柿の葉寿司(一番手前)と焼き鮎寿司、山菜寿司。随分上品。 

吉野 その1

2007年7月8日 日曜日

週末は、親戚のお見舞いのために関西に行ってきた。私の実家は大阪の北東外れの交野(かたの)というところだが、お袋の実家が、南朝や桜で有名な、奈良県の吉野なので、その吉野まで親戚のお見舞いと祖父母のお墓参りを兼ねて行ってきた。
吉野と言えば、最近は世界遺産登録された「熊野古道」の北の入り口として有名かもしれないが、私にとっては、吉野といえば、「桜」、「柿の葉寿司」と「茶がゆ」。吉野の親戚の家の近くには、柿の葉寿司で有名な「平宋」の本店があり、そこで「茶がゆ」と「柿の葉寿司」を食するのもひとつの楽しみ、番茶のこおばしい香りに包まれた「おかゆ」と町中に漂う杉の香りが、奈良や京都にはない、古都を感じさせてくれる。
京都「瓢亭」の「かゆ」も、「かゆ」を日本料理に高めた料理人と京都の旦那衆の粋を感じるが、「茶がゆ」というシンプルな料理を、420円という庶民価格で出す、「平宋」にも粋を感じる。
ただし、私のお袋に言わせると、「茶がゆ」などお金を出して食べるものではないようだが。。

0708_aaae.jpg 荒陶製のゆきひらに入れられて出てくる茶がゆ。

*茶がゆは、お茶を水代わりに入れてかゆを炊くのではなく、かゆを炊くときに、茶袋に入れた番茶を一緒に入れて炊くそうだ。 それで、お米には番茶の香ばしさが移っていく。

次回は、「柿の葉寿司」のうんちく。

千葉出張

2007年5月19日 土曜日

沖縄に転勤して初めての出張で、16日から18日まで幕張に行っていた。タイトルにあるように東京出張ではなく、千葉出張だ。

丁度16日は、沖縄では例年より1週間程度遅く梅雨入りしたのだが、関東は良い天気。カラッとしていて気持ちの良い天気だった。羽田空港から幕張にはバスが一番便利なのだが、今回は立ち寄るところがあった関係で、京葉線で向かった。東京に住んでいたころも幕張にいくときには京葉線を利用していたが、京葉線の新浦安を過ぎたところで、右側に広がる「東京湾の三番瀬」は気に入っている景色のひとつ。天気の良い日には、電車の左側に座り、一瞬真正面に広がる三番瀬を見るのが楽しみだった。

三番瀬ってご存知でしょうか?HPもあるのですよ。http://www.pref.chiba.jp/syozoku/b_soukei/sanbanze/index-j.html

今回は、宿泊した幕張のホテルフランクスの部屋からも、思いのほか青い東京湾の海が見ることができ、「東京湾もばかにできない」というのをあらためて思い知った。どんどんと単なる「海好きおやじ」になっていくような気がしてきた。

今回は仕事がたまっていたので、あまり連絡せずに状況しました。お会いできなかった方も多かったのですが、ごめんなさいね。

0519_eeay.jpg幕張の東京湾

ホテル東京

2007年3月27日 火曜日

26日、荷物の搬出が済み、那覇への搬入が31日のため、その間ホテルなどに宿泊しなければならないのです。九州とかならそのままトラックで一晩で移動してしまうのでしょうが。陸路でつながっていない沖縄には船にコンテナーを積んで運ぶことになるため4,5日かかってしまうのです。空輸ということもあるのでしょうが、そんなことすればいくら費用がかかるかわかりません。今回も当然引越し費用(お任せパック部分は除く)は会社持ちですが、ちらっと明細を見たら、小型車1台買えるくらいの費用がかかっていました。「解雇されて実費で東京に戻ることになったら大変。」と妻がやや真剣に言ってました。(そうなったら私はそのまま永住しちゃうけどね。)

ということで、26日夜は家族4人で東京のホテルに宿泊。以前ネットで調べていたら、泉岳寺にある「ホテル東京」という大胆な名前のホテルが3月末で建て替え休業のために、感謝プライスをやっているのを発見し、予約しておきました。私は知らなかったのですが、ロスチャイルド ファミリーも宿泊したことがある歴史のあるホテルだそうです。部屋は和洋折衷の部屋で、なんと浴室には檜風呂がありました。

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http://www.hotel-tokyo.co.jp/

さくら

2007年3月27日 火曜日

碑文谷の住んでいた(過去形になってしまった)マンションの前は、環七から清水池公園にかけての桜並木。数年前から「碑(いしぶみ)桜通り」という名前が付いている。桜が満開の春は、桜の花の向うに浮かぶとサレジオ教会の鐘塔が綺麗。

「暖冬がんばれ。」引越し前に満開の桜が見たいと思っていたのですが、ちょっと間に合いませんでしたね。残念です。ご覧のように花が咲き出しています。今週末が満開かな。

ue.jpg家の前の通りの桜が咲き出している。